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Decrescendo Garden
2021年3月11日〜14日 武蔵野美術大学大学院 修了制作展
祖父が死ぬまで、祖父の畑が永遠に続くと思っていた。
祖父と畑のやり取りを、死ぬまで撮れると思っていた。
死んでから消えると思っていたのに、生きている間に消えていくとは思わなかった。
祖父がもう随分と畑には立っていないことを聞いて、しばらくした頃、
突然、白菜が復活した。
咲いては枯れ、枯れては咲いて、と繰り返す畑が、
だんだん強くなるクレッシェンドと、
だんだん弱くなっていくデクレッシェンドの音の感覚と重なった。
クレッシェンドだけの楽譜も、デクレッシェンドだけの楽譜もないように、
生き続ける畑もなければ、朽ちていくだけの畑もない。
クレッシェンドで終わるような音の潔さはない。
クレッシェンドの後に来る、音の終わりが迫ってくるようなデクレッシェンドが、
この畑にはある。
何度も来たクレッシェンドのような畑が、だんだんと、デクレッシェンドに近いていく。
しかし、いつか、白菜が復活したように、また、畑の始まりはやってくるのだろう。
その現象を、支配することも、操ることもできない。
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