「海馬の去る庭」
死んでから消えると思っていたのに、生きている間に消えていくとは思わなかった。
昔、トマトを食べれなかった。 それを見た母が、祖父の畑に連れて行った。
「そこにトマトがあるから、自分でもぎって、食べなさい。」 と言って、トマトをもぎらされ、すぐに食べた。
そこから口が入れ替わったように、食べれるようになった。
畑には、そのような力があると思っていた。
畑を撮りながら、祖父を探るように、撮っていくつもりだった。
祖父が死ぬまで、祖父の畑が永遠に続くと思っていた。
祖父の気配をなぞっていただった。 その気配もだんだんと薄れていく。
家の前にある畑なのに、祖父と庭の距離感は、どんどん遠くなっていく。
それは死んでからのことだと思っていた。 死後実感するものだと思っていた。
ある時、リハビリが必要だったほどの怪我をしたらしい。
その時から畑に立って回数が減っていった。
しかし、私から祖父に、「撮りたいから育てて。」と言わない。
あくまでも、祖父の自然に任せて、ただそこにいることしかできない。
それは、まるで、畑から記憶が去っていくかのようだ。
突然、余所者が畑弄り始めた。
まるで畑が、薮医者に頭をきらているかのようだ。
彼の畑で、彼の庭だったものが、 そこにあったの彼の記憶が、
他の人の手によって消えていくかのようだ。
記憶喪失になっていく過程を、私はただ見ていることしかできない。