​鮮度100%

晴れの日は、教えてはくれない。

雨の日は、雨粒が知らせてくれる。

雨粒の持つ重みが肌に触れた瞬間、雨が降っている、とわかる。

雨粒という証拠が、雨の日にはある。

晴れの日を、何も教えてはくれない。

太陽から音が聴こえてくるわけではない。

風がいつも耳に入ってくるわけではない。

「晴れ」はいつも上に居るのに、いつだって地面と目が合うばかりで、気が付くこともできない。

確かに、この日は晴れていた。

これが、その証拠である。

晴れている日は、どうしても上を向いてしまう。

雲が去っていく中、風にも揉まれている洗濯物から、目を離さずにはいられなくなる。

鮮やかで、堂々としている姿は、とてもすがすがしく、みずみずしく、まぶしい。

その姿を、ただひたすら切り取っているが、写真の中でおとなしくしてはくれない。

おさまりきらないくらいのみずみずしさと鮮やかさを、洗濯物は語っている。

「鮮度100%」というシリーズは、洗濯物を被写体にしたシリーズです。

何故、洗濯物を被写体にするのか。

洗濯物というのは、人が動いた導線の証拠である、と考えています。

必ず人が動いてできた証拠の品です。この証拠は、生きていると考えています。

なぜ生きている、と考えるのか。

自然という万物によって、状態が変化するからです。

雨の日に、洗濯物は外に干せれることは、ありません。

雨は雨粒の証拠が人に触れてわかりますが、晴れている、という証拠は、触って確認できるわけではない。

洗濯物が乾いている、という状態が、唯一、晴れている証拠となるのです。

洗濯物を撮るということは、人を撮るとともに、「晴れている」という、触ることもできないが、確かなものを撮ることにもなるのです。

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